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長い物語が紡がれていく、この国のインフラ整備とは?

長い物語が紡がれていく、この国のインフラ整備とは?

運輸官僚として整備新幹線や成田空港の滑走路建設など多くのプロジェクトに膨大な熱量をもって携わってこられた国土交通省の水嶋智事務次官ですが、若手時代のエピソードやインフラ整備に対する考えなどについて、羽藤英二会長がお話をお伺いしました。

高校時代から国家公務員を目指す

 私は京都で高校までを過ごしました。実家は生花店で、ネクタイを締めて通勤している人は周りにはいないような環境でした。高校2年生の時に生徒会長を務めていて、同級生から「水嶋くんは国家公務員になるといいのでは?」と言われ、この職業を意識するようになったんです。
 大学進学は東京大学か京都大学か迷っていたところ、高校の先生から「東京大学の方が向いている」と言われて、東京大学を文科1類に入学しました。
 就職活動の時期を迎え、法曹の世界に進まず、民間企業も回らずに公務員試験を受けました。当時は国家公務員採用Ⅰ種試験(法律)の1次と2次の試験に合格したら公務員になる資格が与えられたのですが、1次試験が終わった段階で各省庁を訪問していました。私も尊敬していたサークルの先輩が運輸省(現・国土交通省)で仕事をされていたので、訪問をして面接していただいて、1985年8月に内定をいただきました。
 率直に言って、当時はインフラに携わる仕事がしたかったとか、やりたいことが明確だったわけではなかったのですが、社会のことを知らない学生なりに、「運輸省に入るのであれば、2つの重要課題である国鉄改革と成田空港に携わるような仕事がしたい」と考えたんです。私も若かったですし、「そんなに難しい問題があるのなら、解決してやろう!」という、少々不遜なぐらい意気込みも大きかった(笑)。その後の仕事ではまさにその2つをずっと担当させていただき、ある意味では僕のライフワーク的になっていて感慨深いですね。
 入省して配属されたのは海上技術安全局(現・海事局)です。その経験も後に活きていて、今、アメリカの造船業は衰退していて、日米の関税交渉の中で日本の造船業に頼ってきている部分もある。日本は戦後、最大の造船国でしたが、現在はその勢いを少し失いつつあり、海事国家として強化を目指しています。当時も日本の造船業の国際競争力について議論していて、とても勉強になりました。

水嶋事務次官と羽藤会長

若手時代から整備新幹線と関わる

 2年ほどして国有鉄道改革推進部に異動しました。私が入省した翌年、1987年4月1日に国鉄は分割民営化されましたが、国鉄改革における様々な仕組みづくりはまだ続いていました。例えば長期債務や、JRに移行しなかった人たちの再就職など、JRから切り離した問題が残っていたんです。
 一方で、民営化してスタートしたJRの経営は順調でした。そこで、新幹線整備の声が政治サイドから出てくることになります。国鉄末期に凍結されていた整備新幹線の整備を進めることとなり、作業部隊に私も携わることになりました。最初に着工したのは北陸新幹線の高崎—長野間のフル規格でしたが、他の線区については、事業費を抑えるために、運輸省ではフル規格とミニ新幹線やスーパー特急方式を組み合わせた絵を描きました。これは地元の方々からは「ウナギ(フル規格)を注文したらアナゴやドジョウ(ミニ新幹線やスーパー特急方式)が出てきた」とからかわれましたね。ただ当時、霞が関では「第二の国鉄を作らない」、つまり赤字を生まないようにして新幹線をどのようなスキームでつくるかが強く問題意識としてありました。
 整備新幹線には入省3年目の時に初めて建設に携わり、その後は鉄道の審議官や次長や局長という立場でも仕事をすることになりました。北陸新幹線の金沢—敦賀間の延伸では、当初予定していた2023年春の金沢—敦賀間の開業が遅れることになり、建設主体である独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構に国土交通省が業務改善命令を出し、私が2021年1月に副理事長に就任しました。それまで技術畑の人が就いていたポストです。2024年3月に何とか開業にこぎ着け、あとは敦賀から京都までどのルートを通すのかという問題に向き合っています。

全国の新幹線鉄道網の現状
全国の新幹線鉄道網の現状

若成田空港B滑走路新設に携わった30代

 私の30代は成田空港一色と言っても過言でありません。成田空港は現在、年間発着枠50万回を目指してC滑走路の新設やB滑走路の延伸、ワンターミナル化や新貨物地区の整備など、「第2の開港」プロジェクトが進められています。私は1990年代に航空局に2回配属され、特に2回目は飛行場部新東京国際空港課整備推進調整官(1996–2000)として成田空港のB滑走路新設の準備に携わりました。空港建設時に地元の苛烈な反対運動が起こり、A滑走路1本のみで1978年に開港しましたが、それだけではとても航空需要を満たすことができず、2本目の滑走路建設は悲願と言えるものでした。
 私も週末も成田に通って地域の方々と話し合いを続けました。そして最終的には計画よりも800m北側にずらして新設する原案をつくりました。反対されている地権者の方の土地を避け、国道51号の使用にも支障がない範囲で北側にずらすというものでした。経済効果や雇用創出などへの期待から地元公聴会でも大多数が賛成意見でした。B滑走路は1999年12月にようやく着工し、その後、私は担当から外れましたが、2002年に供用開始となりました。
 当時、話し合いを行っていた農家の方がつくっている野菜を30年近く経った今でも購入し続けています。事務次官になった時にも成田の地域の皆さんのところへ挨拶に行ってきましたが、30年はあっという間だと感じました。
 私は役人人生を40年送ったことになりますが、今、実感しているのは、インフラは1人の職業人生にはまりきらない長い物語が紡がれていくのだということです。先日も、木曽川中流域に建設する新丸山ダム(岐阜県)の定礎式に出席したのですが、この事業は20年以上遅れていて事業費も4倍以上になっている。ダムというのは自然と闘いながら、多くの人々が時間とお金と労力をかけてつくり続けている。この国でインフラを整備するというのはそういうことなのだと思いますね。

成田空港の更なる機能強化
成田空港の更なる機能強化

インフラ整備や持続可能性の財源のあり方は

 私自身が事務次官としてできることは限られていますが、根本的には財源の問題があります。平成の約30年を振り返ると、社会保障の予算は10兆円が30兆円となり、令和の時代に入って40兆円に届こうとしています。防衛費はかつてはGNP比1%枠があり、その後も1%台で推移してきましたが、現在の目標は2%で、かつそれを前倒しする動きになっている。社会保障も防衛費も予算の増額が議論される時に「その財源はどうするのか」という問題意識がセットになっている。そのため、消費税などについても表の舞台で議論されてきています。
 けれども公共事業は平成の初め頃に6兆円で今も横ばいのままです。その一方で設計労務単価とか建築資材は近年、急激に上昇していますので、何が起きるかというと、事業量が減っていくわけです。それを今、「強靭化」というタイトルのもとで、五カ年計画を2回作って、実質的には補正予算で事業量を確保しています。しかし、その財源は税収の上振れと国債に頼ってしまい、財源のあり方については他の政策分野と比べると議論が正面からなされていない。これはこの国の財政やインフラにとって望ましいことかという問題意識を私は常に抱いています。
 さらに、「第二の国鉄をつくらない」という不幸な生い立ちを持つ整備新幹線は補正予算の枠にすら入れられていない。そのため予算と工期の制約が極めてがんじがらめになった中で進めなければいけない事業になってしまい、北陸新幹線のようなトラブルが起こってしまった。
 マクロな視点では、そうした構造をどう変えていくかという議論が必要だし、最終的には誰がインフラ整備の費用を負担するのかという議論は避けられない。建設業界でも下請けの技能者たちにちゃんと支払いをするには元受けに支払わなければならない。するとゼネコンはそこに掛かるお金をディベロッパーに回すわけです。ゼネコンとディベロッパーのせめぎ合いもありますが、最終的に誰かの懐に入るお金は誰かが負担しなければいけないとお金は回っていかない。
 最近の民間の開発事業や国交省の所管事業で言えば、貨物輸送、物流などもトラックドライバーがちゃんと働くためには下請けの会社に元受けの会社が支払いをする。元受けが支払いをするためには荷主がちゃんと支払いをしなければいけない。利用者が負担しなければいけない。だんだんとその理解が進んでいった。インフラ整備のために誰がどういう負担をしなければいけないかということについてももう少し正面から議論される社会になってほしいと思います。
 1つの参考として、鉄道の事例にバリアフリー料金があります。バリアフリーについてはインセンティブがないので鉄道事業者から国に補助金を求められた。一方で都市鉄道の中には収益力の高い事業者もあり、そこに税金を投入する必要があるのかという議論があった。最初は補助金をインセンティブして実施しました。けれども鉄道事業者にお願いしたのは、バリアフリー料金として利用者から運賃プラスアルファのお金をいただき、バリアフリーあるいはホームドアが付けば、線路に酔客が落ちたり、落下物がある度にダイヤが乱れることはなく、安全性が高まる上に定時制も保たれるので、サービスレベルがアップする話となる。つまり鉄道事業者にもメリットが生まれます。そうした工事をどこかの企業に発注することで雇用も生まれるし、お金も回る。それは皆にメリットが生まれる経済成長で、まさにデフレ脱却を目指す経済の循環なのではないかと考え、バリアフリー料金を提唱しました。これは制度的に定着しましたけれど、今後もそういう工夫は考えていかなくてはならない。
 通勤や通学、またはその他の目的で移動するために交通事業者がインフラを整備して、その後に社会的な責任を持つことと同様に、ディベロッパーの社会的責任も大きいと考えます。ディベロッパーが開発し、ビルやマンションをつくった後、永続的に社会に負荷をかける事実がそこにあるわけですので、社会的責任はディベロッパーにも関わってもらう必要があります。

水嶋 智 国土交通省 事務次官
水嶋 智 国土交通省 事務次官
「この国でインフラを整備するとはどういうことか、インフラ整備のために誰がどのような負担をしていくか、正面から議論される社会になってほしいと思います」

交通事業者の社会的な存在意義を再認識する

 日本国内の観光についてはオーバーツーリズムの問題が指摘されていますが、インバウンドの7割が東京—大阪間に集中しています。人が集まる地域もないわけではありませんが、他の地域の人と話をすると、自分たちの地域にはそれほど利益がないと言われることが多い。ゴールデンルートに集中しているインバウンドをどうやって分散させるかはとても重要です。
 2019年にフランシスコ教皇が日本に来られた際に、最初に被爆地の1つである長崎を訪問され、次に広島に行かれた。この時、移動に利用されたのは飛行機でした。長崎と広島が新幹線で直通すれば、所要時間は2時間です。世界に名高い2つの都市が2時間でつながることでこちらに足を運ぶ人が増え、オーバーツーリズムを解消して、地域の振興を図ることも可能です。
 観光基盤の拡充・強化を図るための恒久的な財源確保を目的として、国際観光旅客税(2019年より日本からの出国時に課税)という仕組みを観光庁の次長の時に担当してつくり、これは今1000円のところ、今年の税制改正で3000円に上げる方向で議論されています。仮にインバウンドが年間4000万人、アウトバウンドが2000万人だとすると税収は合わせて年間600億円になりますが、これを3000円に上げるとその3倍になります。この財源を交通網の整備に回すことができないか議論しています。まずは空港アクセスに着手したい。地方空港、例えば千歳空港のアクセスは輸送力が限界にきているので、そういうところから始めていきたいと考えています。
 もう1つは別の視点の話になりますが、個人的には株式会社という組織形態と鉄道事業等の公益的な事業の関係をどう考えるかという問題意識を持っています。鉄道会社が世の中でどういう理由で存在し、貢献できているか。鉄道事業者の存在意義は株主に対する配当の多さだけではなく、地域に対する貢献度や社会的責任、外部経済も考慮する必要があると認識しています。鉄道が走っていることで多くの様々な人たちがメリットを受ける、それが事業者が存在している最も大きな社会的意義なので、経済的価値ばかりが尊重されて、社会的価値があまりにも過小評価されていないだろうか。その矛盾が端的に表れているのが鉄道をはじめとした交通の分野だと思います。
 実業家であり鉄道の愛好家でもあった原信太郎さんが収集した鉄道模型を集めた原鉄道模型博物館が横浜にありますが、その長男である原丈人さんはアメリカの有名なベンチャーキャピタルで財を成した人なのですが、この方が主張しておられるのが公益資本主義で、行き過ぎた資本主義から公益性を重視する資本主義への転換を提唱され、鉄道はその最たる例だとおっしゃっています。経済性と社会性をどう両立させるか。これを一番問われているのは交通の分野だと思いますね。

羽藤英二 (一社)計画・交通研究会会長 東京大学教授
羽藤英二 (一社)計画・交通研究会会長 東京大学教授

下り坂で見える風景を後輩たちにしっかり伝えたい

 若い人の結婚式に出席すると、新郎や新婦の上司がスピーチで「将来、会社を背負う人材で」などと話されるのですが、僕自身は「彼(彼女)は今、うちの役所を背負ってくれています」と話します。私も自分がシニアになったからこそ分かるのですが、やはり一番手を動かして汗かいているのは20代、30代の人たちなんです。だから、今の国交省や企業を支えているエースプレーヤーやポイントゲッターは彼らだと心から思っています。若い人たちが新しい価値を生み出して闊達に動く時に、私の役割は全体の方向性を誤らないように調整することなんです。
 自分自身の若い頃を振り返ると、整備新幹線でも成田空港でも「この仕事をやっているのは自分たちなんだ」と自負していたし、やりがいも達成感も十分にありました。当時の局長や次官の先輩方は若い私たちが考えたことをどうやって社会のレールに乗せるかという苦労をしてくださっていたのかもしれません。今の若い人も自分たちが担っているのだと思っていてくれればいいですね。
 自分自身の今後のイメージについて少し思うところがあります。中国最古の哲学書にして東洋思想の根幹を成す古典『易経』は64卦に分けて、自然の法則や人間の行動を深く理解するための手段が記されているのですが、その中の「乾為天」の卦に龍のステージの話が書かれています。まだ時期を得ていない‘潜龍’は日の目を見ないところでひたすら力を蓄える。そして段階を経て大空を駆け巡る‘飛龍’となる。昇り詰めた ‘亢龍’には必ず衰えが訪れますが、その先に2つの道があります。それは落ちるか降りるかで、この2つは大きく異なります。頂点から降りることを拒んだら後は転落するしかありませんが、身を引くタイミングを見極め、上手に降りていけば、周りの風景と雲を道連れにして、地上に恵みの雨を降らせることができると説いています。上手に降りていくことができると、今まで見えなかった下り坂の風景を見ることができ、その風景をそれまで信頼関係を築いてきた後輩たちに語ることができるのではないかと考えています。私自身も降りていく時に後輩たちにその風景をしっかり伝えていきたいと思います。

茶木広報委員長、水嶋事務次官、羽藤会長
「一番汗をかいている20代、30代の若手こそが今の国交省や企業を支えているエースプレーヤーだと心から思っています」