現在、インドではムンバイ・アーメダバード間でインド初となる高速鉄道の建設が、日本の新幹線方式を導入するかたちで進められています。今回、当会では家田会長を団長とし、総勢19名からなるインド鉄道プロジェクト視察団を立ち上げ、5月22日~26日の5日間で、高速鉄道の建設現場および地下鉄、モノレールなどその他のインドの鉄道事業の現状を幅広く視察しました。なお、今回の視察会は、東日本旅客鉄道(JR 東日本)、日本コンサルタンツ、日本工営各社の多大なご協力により実現したものです。
視察スケジュールと参加者(会長・幹事長ほかは五十音順)のレポートを掲載します。また、早川和利氏・金子祐太朗氏(両名ともJR 東日本)による視察の概要と、参加者のうち山本卓朗氏((社)未来のまち・交通・鉄道を構想するプラットフォーム)と大串葉子氏(椙山女学園大学)の報告は会報7月号に掲載します。
家田 仁 (当会会長・政策研究大学院大学)
「悠久のインド」という捉え方がある。20年くらい前だったろうか初めてインドを訪れた際、道端にゾロゾロとしゃがみ込み、道路工事用の石材をコツコツと手で割る、ぼろ布をまとった作業者たちの光景が衝撃的だった。今回の訪印でも、街中をのんびりと歩む牛たちや、昔から変わらぬ広大なスラムを眺めると、ゆっくりと進むインドの「時計」は今も顕在だ。中村元の名著「インド人の思惟方法」によると、インド人は抽象的思考と宗教的思考への傾注に特徴をもち、「時間」を超越した概念操作を得意とするとされているが、これも頷けるところだ。
その一方で、インドは抜群に速く回る「時計」をも手にしている。ソフトウェア開発などで先端ITビジネスの一翼を担っていることはもとより、大都市のメトロなどの通勤鉄道の駅構内をセカセカと歩く中間層の人たちを見るとこの「速い時計」がマザマザと感じられる。よく考えてみると、インド商人(印僑)は東の華僑、西のアラビア商人とともに世界三大商人の一つとされ、古来、アジア南部やアフリカ東部で活躍してきた。特にビジネス界における「速い時計」も決して昨日今日登場したわけではなく、インド人の思考と行動における深層の一面をなしているようだ。
今回、インフラ整備の現場でも、この「速い時計」を目の当たりにした。デリーメトロはわずか15年間ほどで延長300キロにまでネットワークを拡げ(東京は90年間)、5年前に1号線を開通したムンバイメトロは現在さらに175キロ分の整備を一気に進めている。そこでは、工区の拡張、標準化の徹底、覆工を設けない思い切った大規模開削など、工期短縮やコスト削減に向けた工法や建設マネジメントに凄まじいばかりの「工夫力」が発揮されている。
「ゆったりと進む時計」と「速く進む時計」という「二つの時計」をもつインド、このメリハリの利いた時間感覚は、筆者にとって今回のインド訪問の大きな収穫となった。
日比野 直彦(政策研究大学院大学)
インドでの視察を振り返り、強く印象に残ったのは、摂氏40度を超える灼熱の暑さ、むせる程のカレーの辛さと並び、鳴り止まぬクラクションの音だった。都市内のいたるところで見られる大渋滞の中、バイクやオートリクシャーが自動車を縫って走っている。片方しかサイドミラーがない車も多く、自らの存在を知らせるためなのか、車線変更をするという意思表示をするためなのか、どの車も必要以上にクラクションを鳴らし続けている。そのけたたましい音が、何とも言えないアジアらしい混沌とした雰囲気を醸し出していた。特に、インドらしさを感じたのは、高速道路の路肩をクラクションを鳴らしながら逆送する光景であった。他方で鉄道駅は、案内放送もなく、もちろん音楽もかかっていない。聞こえてくるのは進入車輌の警笛と、スタッフの笛の音だけである。10年後にこの音はどうなっているのだろうか?日本のように駅員が駆け込み注意をマイクを使って大声で叫ぶようになってしまうのか、リクシャーが見られなくなり、クラクションの音が消えてしまうのか… 急速に進む開発を車窓から見ながら、そうなったら寂しいなぁと思っていた。