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対談

会長対談

国土計画から考える日本の未来

国土計画から考える日本の未来

今年度、地方問題小研究会が発足し、昨年11月には沖縄見学会も実施されました。同年は沖縄復帰50年にあたりますが、復帰前から沖縄の開発についても長らく携わってこられた第4代会長の森地茂先生をお迎えし、沖縄の開発計画について、また国土の将来像をつくる考え方をテーマに羽藤英二会長と対談を行いました。

沖縄に期待される役割と可能性とは

羽藤 今、国土を論じる中で沖縄をどのように考えていくかが一つの節目になっているように思います。まず森地先生がどのように国土論の中で沖縄のインフラを考えてこられたのか、お伺いできますか。

森地 私が大学2年生の時(昭和38年)、先輩と復帰前の沖縄に行き、40日間滞在して北端の辺戸岬から南端の波照間島まで周りました。当時は那覇市でも1日に数時間しか水が出なかったし、石垣空港は未舗装の滑走路、ブロックを積んだだけの無人ターミナルで、パイロットと客室乗務員が荷物の積み降ろしする状態でした。
 昭和40年代、東京工業大学の社会工学科の中心人物の1人に阿部統先生がいらっしゃいました。当時の屋良朝苗行政主席(復帰後は初代沖縄県知事)が親交のあった阿部先生に復帰後の計画を依頼し、当時は助手だった私も担当しました。復帰後は米軍の投資がなくなるために、人口が復帰前の100万人弱から70万人台まで落ちると予測され、観光やモノレールについて計画が立てられました。この昭和30、40年代から見ると目覚ましく発展しました。

沖縄復帰記念式典(1972年5月15日)[沖縄県公文書館所蔵]
沖縄復帰記念式典(1972年5月15日)[沖縄県公文書館所蔵]
那覇市内
那覇市内

羽藤 モノレール計画はスクラッチで森地先生たちが始められたのですか。

森地 実際につくるときのモノレールの計画にはタッチしていませんが、モノレールを高速道路まで延伸して、名護市から高速道路とモノレールで那覇の都心部に入れる計画をつくりました。しかし、中途半端なところで止まっていて、高速道路と接続していない。残念ながら意思決定が少しずつずれてしまった感があります。
 また、那覇都市圏は120万都市で自動車の混雑がすごい。那覇~名護間の鉄道をつくりたいと地元の希望は非常に強いのですが、このままでは大赤字ですし、名護をはじめ駅周辺開発をやらなくては意味がないのですが、これがまた進んでいません。

羽藤 自動車事故など本島では大きな問題で、鉄道は解決の1つの手段ですが、課題が多いですね。

森地 離島についても、空港が設置されたが航空路線がないところもあります。離島には自衛隊の基地や、航空会社のパイロットの訓練飛行場、東洋製糖の工場、海上保安庁の観測所などがあります。国境離島はどうあるべきかを考えると、この島は自衛隊の基地、ここは漁船の避難港、ここは観測所とそれぞれの役割を決めた方がいいのではと思うんですね。

羽藤 島嶼群にどういう役割・機能を担ってもらうのか、明確な機能を広域的な国土計画の中で位置づける──このお話には非常に感銘を受けました。

森地 また那覇都市圏は人口120万ですから、東西南北、糸満の方まで都市鉄道を整備した方がいいと思います。産業面では、那覇空港を東アジアにおける貨物輸送のハブにするという、とてもいい戦略があり、貨物国際ターミナルを旅客ターミナルの北につくろうとしましたが、合意がとれずに実現しませんでした。

羽藤 私の中国の知人も、東京や北京、上海の仕事もしやすいと、沖縄にオフィスを置くケースが多いですね。沖縄が東シナ海のキーになる場所として認識されています。

森地 那覇のまちは非常に拡散しています。同じような自動車中心のアメリカの都市や欧州の都市は市役所や高校、教会などと広場が都心に配置され、それを核として商業が張りついている。しかし、沖縄は古い土地にも、埋め立てて新たに開発した地域にも、都市の核と顔がない。那覇の国際通りは都心商業機能を低下させており、トランジットモールにする話もうまくいかないですね。
 そのほか、フィリピンのパラワン諸島のエルニドのような富裕層向けの高級リゾートを沖縄の離島でやったらどうでしょう。沖縄の資本だけでは難しくても、これだけインバウンドがあれば可能性があると思います。

羽藤 沖縄が独自の地域資源を離島も含めて抱えている中で、今までとは違う趣向で開発するビジョンも、東南アジアなどリゾート競争の中で生き抜いていく上では必要で、ファンディングも含めた仕組みづくりを沖縄の方々と一緒にやっていくこともこれからは重要になりそうです。

森地先生のキーワード_1
森地 茂 政策研究大学院大学 客員教授 名誉教授 第4代計画・交通研究会会長
森地 茂 政策研究大学院大学 客員教授 名誉教授 
第4代計画・交通研究会会長
羽藤会長のキーワード_1

自治体を超えた圏域で交通ネットワークを考える

羽藤 国土の未来を描くことに先生は関わってこられ、今後についてどのような見通しをお持ちですか。

森地 国土の最大の問題は、東京一極集中と地方の過疎化をどう考えるかです。災害は必ず訪れるので、大震災の時に東京はどうするのか。また、過疎地はもう少しまとまって住む姿しかあり得ない。カナダ、オーストラリア、スウェーデンなどの地方では、ある程度立派なまちがあり、生活サービスが維持されて、漁業や農業は現地へ通勤というスタイルです。
 東京一極集中に関しては、東京に来る主なタイミングは大学入学と就職という若い世代であり、しかも大阪、名古屋、札幌、福岡などの大都市から来る。進学校や大学、大企業が集まっていますからね。流出を止めるには、各県の県庁所在地と第2、第3の都市の教育や就職先の部分を強くして、元気にしていかなければいけない。
 東日本大震災で甚大な被害を受けた三陸地域をみると、八戸、久慈、宮古、陸前高田、気仙沼があって、その南にはもっと集積地がある。久慈―八戸間は少し遠いですけど、その南側は大体50㎞ピッチです。その半分の25㎞は私たちが普通に通勤している距離ですから、集まって住むのはそう難しい話ではない。震災復興に対しての政策大提言にはそのような提案も入れましたが、最終的には市町村単位、集落単位でやることになりました。

羽藤 森地先生をはじめ専門家も相当言っておられたんですけど、自治体主体という原則を崩せませんでしたね。 

森地 地方の移動は、公共交通を自動運転でどのように賄うかです。コストは人件費が70%ですから、運賃を高くても50円以下にできる。買い物も移動販売車と顔認証とモバイル決済でやれば自動運転ででき、物流も可能になるでしょう。遠隔医療も含めて過疎地を支えられます。
 もうひとつの課題は道路交通法です。バスは管理者を置かないと自動運転ができない。これは地方の小さなバス会社では当分実現できないので、JRにバスの自動運転をサポートしてほしい。フィーダーをしっかりすると鉄道の利便性もよくなります。鉄道の司令室でバスも管理できないか。それが成功すれば今度は地方線のバス転換、BRT転換もできるように社会は動いていくでしょう。
 それから、沖縄の離島で管理者なしの自動運転を試行する。特区制度で、人が近づいたら感知して速度ダウンすることは必要ですが、住民全員が「ぶつかったら自分が悪い」と約束する。ゴルフ場のカートと同じです。これが実現すると、過疎地でも同じようなことができます。

羽藤 地方鉄道の需要が減っているけれど、フィーダーも含めて自動走行と組み合わせて、しかも地理的な圏域を踏まえ適切な設定をして、今の自治体を超えた管理圏をうまくつくれば、国土はまだまだ元気にできる。非常に面白いですね。
 今、高速で医療も含めてできるドローン技術なども出ていますし、一方で高速道路網も三陸沿岸の復興道路のような基盤があり、リニアも整備されつつあり、ますます広域的な国土計画を行う素地が整いつつある。強い基盤と自動走行の結節ができれば、今までの国土と違う圏域論に基づく転換が生み出せるのではないでしょうか。

森地 総務省が「定住自立圏構想」を打ち出し、私も21世紀生活圏研究会の委員長として、国土計画の面から人口20万~30万人でまとまるといろいろなことができるという提案をしました。その後、元総務相の増田寛也氏の限界集落に関する研究会を契機に定住自立圏構想の内容が改善されました。農業・漁業・製品工場などの対外的なサービスをする産業と、医療・福祉・青果店など域内で完結する産業、この2つに分けて支援を行う。もう一つは、高校、医療、商業の中心地などの配置を協定で結び、民間の病院やショッピングセンターなども公共のインフラとしてお金が出される。この協定は市長交代後も変更されない。もう一つは、協定を結ぶと過疎法の特例を中心都市も受けられるようにした。これはすごく面白い政策で、公共交通政策の抜本的見直しとの組み合わせがあればもっとうまくいった気がします。

羽藤 全総、新全総が進められる中で交通のネットワークの整備計画はありましたが、2000年以降の議論では圏域論や交通ネットワーク計画を組み合わせて出した方がもう少し強い国土計画につながったのではないかと思います。

森地先生のキーワード_2
羽藤英二 (一社)計画・交通研究会会長 東京大学教授
羽藤英二 (一社)計画・交通研究会会長 東京大学教授
羽藤会長のキーワード_2

森地 地方公共交通がうまくいかない大きな理由として、日本は原則として公共交通を民間に任せてきたんですね。ところが、人口が減って公的におカネを入れざるを得ない状況で、非効率になる可能性が高い。これを防ぐ方法はクラブ財にすることで、高齢者パスと同じように一定の料金を払えばフリーで乗れるようにして、自治体も一定額を払う。その条件下で国もお金を出す。
 また、もっとミクロに高齢化の影響が出て、住宅地の高齢化や商業地のシャッター街化が起こっています。これをいろんな再開発で解決することは地方でもできるでしょう。
 50年後には中心都市にまとまって住む形になりますから、問題はそこまでの期間をどうケアするかなんです。

羽藤 2050年や2100年に向けての過渡期となる今、我々がどういう働きかけができるか。図と地でいくと、図のコアをつくるのは皆でイメージを共有できますが、その間にある地の部分のケアを様々なかたちでサポートしながら、新しい生活者像を描き、面白いとか楽しいとかの実感を持った国土づくりに向かっていくといいと思います。

森地 地方を元気にするのに肝心なことは、国内だけではなくアジアの繁栄を如何に取り込むかです。先進的な人がeコマースの加工食品販売で成功している例が結構ありますが、農水産業の6次産業化もまだ消費者を明確にとらえていない。アジアでも国が異なれば味の好みが違うことも念頭に置く。または日本の味を売り込む。「地産地消」もネットワークがうまくできていないので、もっとバックアップするべきだと思います。

羽藤 グローバルなサプライチェーンとローカルな嗜好を組み合わせた新しい流動、そこに東アジアの方々の嗜好も組み込むと、地域資源が再価値化してくるということですね。

森地 それから観光も広域化したい。北海道では道内の一流旅館のオーナーを集めて、相互に宣伝することを呼び掛けて実現した。こういうネットワーク化はすぐできるんですよ。街道の観光もネットワーク化を試みたのですが、小さなまちが多くて、地域の枠を超えてまではまとまらなかった。こういうことに若い人が意思決定権を持てればいいのですけれど。

羽藤 複数の地域を組み合わせると外部性が出ると考えて、それをつなげる交通ネットワークやブランディングをするような感覚の人を育てて、彼らに権限も渡して、いろいろな活動を生み出していく。それが国土を動かす起爆剤になるでしょう。

森地先生と羽藤会長

複合災害を想定して防災に向き合うべき

羽藤 最後に防災についてお伺いできればと思います。

森地 防災の話は全国強靱化の藤井聡先生の功績によって随分進みました。ただし、南海トラフの広域被災をどのように考えるか。多くの市町村間の助け合いは機能しませんし、製造元が被災すると、原料がない、仮設住宅をつくるところがないというようなことが起こるし、交通が遮断される。こういう状態をどうするか。
 また、地震と水害が同時に起こるような複合災害への対応を専門家は指摘しています。南海トラフや首都直下地震の復興には5~6年はかかり、その間に水害がないということはあり得ないので複合災害は必ず起こる。けれども、ほとんどの人にこの感覚がない。
 もう1つ気になっている点は、天井川が全国に存在して、周辺は簡単に水に浸かるので広域避難が必要になる。特に東京の下町4区は全区民を区内にある高い建物に1㎡1人ずつ収容しても半分しか収容できない。それを逃がすためには鉄道が必要ですが、鉄道車両が水を被ると2~3年間、東京の交通は機能しなくなってしまう。地下鉄をはじめ都心部の車両を逃がすためには相互直通先のどの鉄道に逃がすか。その本線に停めると運行ができなくなる。下町では一般市民の避難が終わらないうちに救急車や消防自動車が避難していいのかという問題もあります。さらに、今では禁止されていますが、調整区域に既に建設されている福祉施設を移設するのは至難です。まだ解けていない問題がたくさんあり、南海トラフや首都直下を経験してからでは遅いんですよ。

羽藤 今年は大正期の関東大震災から100 年です。この100 年間は鉄道を中心にして東京のまちや国土をつくり続けてきたんですが、南海トラフや首都直下の地震では実際に何が起こるのか。マルチハザードに対して首都機能は本当にこれで大丈夫かということを考えると、リスク、災害を国土計画の中で中枢に据えて考え続けていかなければならない。

森地 スーパー堤防は時間がかかりすぎだからと反対する意見がありましたが、避難場所をつくるのだと考えるべきで、すぐ長くつなげてつくらなくてもその意義は大きいのです。それからスーパー堤防は河川事業ではありますが、まちの人たちの合意形成には、都市計画の専門家の努力が必要です。

羽藤 その間をどう機能させるかという時には新たな都市像をもった人材が必要ですので、やはり組織をつなげていく姿勢が重要ですね。

森地 下水も上水も港湾もやらなければいけないことがまだたくさんあるのに、なんとなくもう終わったという発想をしてしまいがちです。

羽藤 縦に割られている中だけでやっていてはだめなのが防災であり、人口減少の問題です。そこは領域を超えて都市と都市を超えたところでしか国土計画が描けない。次の世代の国土ではまさにそれが問われることになると、今日は森地先生の話を伺って痛感しました。どうもありがとうございました。

(対談実施:2022年11月4日 撮影:大村拓也)